高野山に瞑想体験に

先日、9月23日に高野山に瞑想体験に行ってまいりました。

今回の企画は鍼灸師仲間を募って、真言密教の観想法(瞑想)のひとつ、数息観のご指導を受けに行こう!というのが目的です。

去年からこの企画「鍼灸師の遠足」はスタートしており、去年の高野山では阿字観をご指導していただきました。

しかし、ご指導してくださった北村真寛 和尚から「いきなり阿字観から始めるのではなく、基本の数息観から始めましょう。」と優しくたしなめられ、今年は数息観を学ぶことになりました。


数息観をご指導くださる北川真寛 和尚

観想法指導の後は「高野山信仰の入門」に関するご講話をいただきました。


今回、観想とご講話いただいた場所は大明王院さん。
すごく立派な大広間をお貸しいただきました。感謝しますとともに恐縮です…。


数息観の後は、精進料理をいただきます。

高野山には“おもてなしの文化と歴史”があり、精進料理もこのように立派なお膳料理です。
高野山のおもてなしの歴史と文化とは・・・

高野山は古くから信仰の場としてしられており、多くの貴族や権力者の人々も参拝に訪れた場所であった。
そのため「精進料理でいかに客人をもてなすか」という文化が生まれた。

決して高野山は贅沢な精進料理を食べているわけではないのだ!


客人を庭園の風景でもてなす…という趣向もあったのでしょうね。

食後のほっこり写真↑と↓


北川真寛 和尚と記念のツーショット!
今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

鍼灸師がこのような一日体験(厳密には半日体験にもならないが…)をすることに何の意味があるのか?

このように思う人もいるかもしれない。
しかし、私が思いますに、観想(一般的には瞑想の方が通じやすい)を通じて体験する感覚は大事です。

私が実際に体感したのは「夢と現(うつつ)の間にただよう…」そんな感覚でしたね。
この感覚が大事と感じます。

というのも、鍼をしている瞬間って意外にもこんな感じなのです。

夢と現の間と聞くと、『えっ!?鍼しながらボケ~~ッとしてるの?』とびっくりされる方もいるかもしれませんが、それとは違います。

北川真寛 和尚は「主観と客観を行ったり来たりする」という表現をされていましたね。
まさにそうだと思います。

鍼してる間、治療している間の感覚はこうあるべきだと思います。

診察・診断の過程は症状を分析して治療方針を立てるという客観的思考が強くはたらきます。

しかしツボに触れ、鍼してツボの内部に至り、鍼先で人体の力に触れる間は主観というか直観や感性がモノを言います。

これらを瞬時に切り替えたり、行ったり来たりしないといけません。

観想法はその訓練にもなるな~…と考えてもいました。明日からの治療に活かせる体験でした!

 

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