高野山に行ってきました!

院長の足立です。先日(10/9)は私の誕生日ということで妻(当院受付係)と二人でドライブに出かけました。

『今日はできるだけ私の趣味に走らない!』と約束して(私の誕生日なのに…なぜだろう?)、高野山を普通に楽しむというぶらり旅を企画しました。

本当に高野山を散歩するだけの…

とはいえ、そもそも妻はあまり寺社仏閣に興味のないお人。壇上伽藍や金剛峯寺、根本大塔、苅萱堂、奥之院など、有名な寺院に立ち寄らず…。

食堂によってカレーを食べて、薬局に立ち寄り艾(もぐさ)とお薬(陀羅尼助丸)を購入し、奥の院を向かう道を散歩して帰った…という高野山逍遥の旅でした。ちなみに奥の院までたどり着かず、中の橋あたりで引き返しております(苦笑)

妻とは長い付き合いですので、このパターンも十分想定内なのです。

しかし、私も冒頭で誓った『私の趣味に走らない!』ですが、ちゃっかり一つ二つ誓いを破っております。

一つは奥の院に至る道の墓所にて…

江戸時代の名鍼灸師のお墓参り

高野山には名だたる人物のお墓があります。例えば戦国武将たちのお墓があるのは有名ですね。

武田信玄・勝頼、織田信長、豊臣家、明智光秀、石田三成などなど…もちろん武将・大名だけでなく、鍼灸界の大物のお墓もあるのです。それが杉山和一先生(1610-1694年)です。

杉山和一は管鍼法の考案者です。
管鍼法(かんしんほう)とは、鍼管(しんかん)という筒に鍼を入れて、トントンと指先で軽く叩いて鍼を刺入する鍼治療法のことです。下のイラストをみると分かりやすいですね。

  
イラスト:鍼と鍼管、トントンと指先で鍼を刺入するようす

現在は日本の鍼灸学校の多くが、この管鍼法を教育・指導しています。

また杉山和一は五代将軍・徳川綱吉に仕え、その功績から江戸の土地(本所一つ目)を拝領し、そこに弁財天を祀ります(現在の江島杉山神社です)。
そして「杉山流鍼治導引稽古所」を開設します。あまり知られていないですが、世界初の盲人のための教育機関となります。実に世界に誇るべき事業といえるでしょうね。

そんな杉山和一先生の墓所(於 高野山)がコチラ


写真:高野山にある杉山和一の墓所(左)

五輪塔の地大にあたる方形部には「奉造立為 贈正五位 杉山総検校 報恩謝徳 斯道興隆」と刻まれています。
正五位の位を贈られるとは凄いことだと思いませんか。

そして隣(写真右)には鍼医 吉田弘道先生のお墓。

しっかりと手を合わせてきました。

薬局で手に入れたものは陀羅尼助丸

さて高野山の薬局にて艾(もぐさ)と和漢薬を購入しました。それがコレ(下写真)
艾(もぐさ)とは、お灸に用いられるフワフワしたもの。これはヨモギの葉の裏の毛を集めたものです。今時、艾(もぐさ)だけを販売している店舗って珍しいですよね。


写真:高野山で購入した陀羅尼助丸と艾(もぐさ)

陀羅尼助丸は古くから民間で利用されてきた和漢薬。とくに奈良県吉野周辺で生産され、修験道の役小角(えんのおづぬ)が伝えたという伝説をもつお薬です。

私は漢方薬にも興味があり勉強してしますが、和漢薬や民間薬にも興味があるのです。和漢薬や民間薬については記事末に説明しています。

さて陀羅尼助丸、実は製造会社または地域によって、使用される構成生薬が異なるのです。これは決して品質の問題を指摘しているのではありません。
地域によって、伝承によって使われる生薬が違っていたというのは、その歴史的背景に思いを馳せることができ、とても魅力を感じます。

また陀羅尼助丸は「胃腸のお薬・お腹のお薬」として広く用いられていますが、その主役として用いられる生薬がキハダ(黄柏・黄檗)です。このキハダは奈良吉野山系によく自生している樹木だそうです。そして黄柏の効能は胃に効くというものではないのですね。ともに用いられるゲンノショウコは確かにお腹の痛み・不調に用いられる民間薬です。

このように陀羅尼助丸にはいろいろと謎と魅力に満ちている和漢薬なのです。

陀羅尼助丸コレクション

ちなみにこれまでお出かけのたびに各地の薬局・薬店で購入してきた陀羅尼助丸です。


写真:足立鍼灸治療院にある陀羅尼助丸の各種、お出かけにたびに入手するという楽しみ

写真右の2つ(白い箱と黄色い箱のもの)はともに高野山で入手したもの。でも使用されている生薬は異なる、その理由を考察することにロマンを感じますね~。

 
写真:裏パッケージには使用生薬が正確に記載されている

今回の高野山散策で入手した陀羅尼助丸は甲賀系のもの(滋賀県産)です。このタイプは黄柏(オウバク)・苦木(ニガキ)・ヒキオコシ(延命草)が用いられています。
ヒキオコシ(延命草)を使用しているというのも、高野山らしいところですが、甲賀系なんですよね~(笑)なんて楽しみながら、服用もしないのに買い求めています(苦笑)。

漢方薬と和漢薬の違い

漢方薬とは、中国で生まれたお薬のこと。中国では古来(漢の時代、だいたい3世紀)から、お薬の処方がほぼ完成され伝えられています。葛根湯や麻黄湯、小柴胡湯などはすでに3世紀の頃(漢代)に考案されていたってスゴイことですよね。漢代の頃に作られたお薬だから漢方薬(漢方)と呼ばれています。もちろん、漢代以降も新たな医学が発展しています。

和漢薬とは、日本で作られ用いられてきたお薬です。日本は古墳時代(3~7世紀の頃)から中国から医学を輸入し学ぼうとした動きがありました。学校で習った遣隋使などもその一環です。中国大陸から伝来した漢方に対して、古来より日本に生まれ伝えられてきた医学があります。これを和漢薬(和方)と読んでいます。平安時代(808年)に『大同類聚方』という、日本各地に残っていたレシピ(処方箋)を記録した医学書が作られました。しかし現存している『大同類聚方』は偽書だと言われています。

民間薬とは、民間にて使われていた経験的な処方。家伝の処方などもこれに入るかもしれません。日本各地で土地それぞれに使われ伝承されていた薬草があります。経験的な処方によるため、診察診断して用いることが少ないように感じます。

一般的にもよく知られる行われる鍼治療の

 

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